春日若宮おん祭

行事案内

Event Information

− 中心神事 −

7月1日

午後2時

流鏑馬定(やぶさめさだめ)

この行事は大変古く、明治維新までは毎年6月1日に興福寺の別会五師べちえごしの坊にて、その年の流鏑馬執行内容を定める集まりを行ない「御祭礼事始(おん祭の事始め)」としていた。維新後、流鏑馬が執行されなくなると共に、その儀式も一時的に廃せられたが、それから昭和60年の流鏑馬旧儀の復興に伴い、この伝統が甦った。

10月1日

午前11時

縄棟祭(なわむねさい)

縄棟祭は、お旅所の行宮あんぐう(仮御殿)の起工式で、代々「春日縄棟座かすがなわむねざ」として大柳生の片岡家が奉仕する。早朝より雌松52本と縄52ひろを用いて屋形を組みあげ、その前へお供えを献じて御幣を奉る。昔は大円鏡や小円鏡という鏡餅が百余面も供えられ、祭事の後で振舞われたという。

11月下旬(撰日)

午前10時半

馬長児のお位うけ(ばちょうのちごのおくらいうけ)

馬長児は興福寺の学侶がくりょ(学問僧)が交代で頭人(代表者)となり、奉仕させた稚児で、祭礼当日は、法院権大僧都ほういんごんだいそうずの僧位を許されるものである。
現在、興福寺へ参上して五条袈裟ごじょうけさ褊衫衣へんざんえという僧侶の装束に身を包んだ稚児たちは、古式に則り別当より僧位僧官を授けられる。
この儀式は、仏法を護られる春日明神の仮の御姿と信仰される赤童子の御前にて執行されることとなっている。

午後1時

装束賜りと精進入り(しょうぞくたばりとしょうじんいり)

おん祭に参勤する人々が決定すると、装束と参勤辞令を授与する「装束賜り」がある。これは昔、田楽頭役(主催役)の興福寺学侶が田楽の楽頭(演者代表)に授与したのにちなむ。この時には、おん祭当日に着用する装束に袖を通し若宮前にてお祓いを受け拝礼する。この日より精進に入る家々は門口に榊の枝を掲げ、注連縄を張り、「春日若宮御祭礼致斎之事かすがわかみやごさいれいちさいのこと」としるされた神事札を立てて、出来得る限り外界との交渉を断つ。

12月15日

午後1時

大宿所詣(おおしゅくしょもうで)

おん祭に奉仕する四神子(辰市・八嶋・郷・奈良)が、大宿所にて御湯立のお祓いを受ける為、JR奈良駅を出発し大宿所まで行列にて地元商店街を練り歩く。

午後2時半
午後4時半
午後6時
〔於 大宿所〕

御湯立(みゆたて)

「御湯立」は、おん祭の参勤者をお祓いする儀式である。
15日午後2時半からは大宿所詣行列の為に、午後4時半からは旧儀による大和士やまとざむらいの為に、また午後6時からは一般参拝者の為に「御湯」が立てられる。湯立巫女の腰にまく“サンバイコ”というしめ縄は、安産の霊験あるものとされ、妊産婦が多く参拝する。

午後5時

大宿所祭(おおしゅくしょさい)

午後4時半の御湯立に引続き、おん祭の無事執行を祈願する大宿所祭が行われる。 大宿所は、おん祭の流鏑馬を差配する願主役がんしゅやく御師役おしやく馬場役ばばやくを勤める大和士が、神事に奉仕するに当たって精進潔斎を行う参籠所さんろうしょである。
大宿所には、おん祭御渡り式に用いられる装束・祭具類が所狭しと並べられている。特に渡り武具といわれる「野太刀のたち」、馬長児の笹などが人目をひく。御神前には珍しい「献菓子けんがし」、「嶋台しまだい」、「盃台さかずきだい」という飾り物が奉られる。「懸物かけもの」という、古くは大和の大小名より現在は地元の崇敬者より献じられる雉・鮭・鯛等が前庭に懸け並べてお供えされる。 この日にはおん祭の名物料理“のっペ汁”が地元商店街の人たちの手によって振舞われ、大宿所内は活況を呈する。

12月16日

午後2時

大和士宵宮詣(やまとざむらいよいみやもうで)

大和士が流鏑馬の稚児と共に大宿所より若宮へ参り、御幣を奉り拝礼を行う。大宮・手向山八幡宮にも参拝する。

午後3時

田楽座宵宮詣(でんがくざよいみやもうで)

田楽座が大宮と若宮を参拝し田楽を奉納する。

午後4時

宵宮祭(よいみやさい)

宵宮祭は、大宮・若宮におん祭無事執行を祈る神事で、若宮御神前に“御戸開みとびらきの神饌”いう古式のお供えを奉る。その後、若宮御本殿は白の御幌とばり(清浄な布)で覆われる。

12月17日

午前0時
〔若宮御本殿より御旅所〕

遷幸の儀(せんこうのぎ)

若宮様を御本殿より御旅所の行宮あんぐうへとお遷しする儀式であり、古来より神秘とされている。浄闇の中で執り行われる為、参道は全ての灯りを消し、参列する者も写真はもちろん、懐中電灯をともすことすら許されない。

御神霊をお遷しするには、他に例を見ない大変古い作法が伝えられている。暗闇の若宮様がお進みになる参道を、先頭の2本の大松明と沈香じんこうにて清め、神職が榊を以て御神霊を幾重にもお囲みし、全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕みさきの声を発してお遷しする。楽人たちが道楽みちがく慶雲楽きょううんらくを奏で、お供をする。

午前1時~2時
〔於 御旅所〕

暁祭(あかつきさい)

遷幸の儀が無事執行されると、行宮の前には若宮様を迎えた事を示す植松うえまつが立てられ、御殿の中央には瓜灯籠うりどうろうが掲げられ、幽かな光を投げかけている。御旅所芝舞台周りの庭燎には火が入って、暁祭がおごそかに執行される。
御神前には、海川山野の品々が献じられ、旧祢宜の大宮家よりは「素合すご御供ごく」という古式のお供えがお進めされる。次に御幣が奉られ、宮司が祝詞を奏上した後、社伝神楽が奉納される。清らかな歌声と鼓や笛の音が春日野に静かに鳴りわたっていく。

午前9時
〔於 春日大社大宮(本社)、御旅所〕

本殿祭・若宮御留守事(ほんでんさい・わかみやおるすごと)

御留守事おるすごと」と申し上げ、大宮(本社)と御旅所より若宮へ古式の御神饌をを奉る神事で近年古儀が復興された。

正午
〔奈良県庁前広場出発〕

お渡式(おわたりしき)

午後0時50分頃
〔於興福寺南大門跡〕

南大門交名の儀(なんだいもんきょうみょうのぎ)

古来、御渡り式は興福寺内を出発して一の鳥居迄を下の渡り、一の鳥居より御旅所迄を上の渡りと称している。下の渡りの中心的な行事がこの交名である。祭礼の主催権を持つ興福寺への敬意を表し、また御渡り式に遺漏が無いかを改めるこの式は現在、旧南大門跡に興福寺衆徒しゅとの出仕をみて執行されている。
特に興福寺より出仕した役柄は名乗りの事があり、競馬は「○○法印御馬候ほういんおんうまのそろ」などと名乗り、馬長児は僧位僧官を名乗る。これらはいずれも大童子だいどうじ役が行う。また大和士は御師役が懐中している交名を声高らかに読み上げるなど古式床しい行事である。読み違いや、不作法があると、再度引き戻してやり直させたという故実もある。

午後1時頃
〔於 一ノ鳥居内影向ノ松〕

松の下式(まつのしたしき)

一の鳥居の内、南側の壇上に「影向の松ようごうのまつ」がある。この松は能舞台の鏡板に描かれている松といわれ、その前で春日大明神が翁の姿で万歳楽を舞われたという伝えがある。 ここを通過する御渡り行列の内、陪従べいじゅう細男せいのお猿楽さるがく田楽でんがくは各々芸能の一節や、所定の舞を演じる。古く興福寺の学侶より選ばれていた頭屋児とうやのちご二名と奈良を管轄していた南都奉行がこの儀式を検知していた。この重要な役目が近年復興されている。

午後1時頃〔一ノ鳥居馬出橋より御旅所前勝負榊まで〕

競馬(けいば)

午後2時半頃〔一ノ鳥居より馬出橋周辺〕

稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)

午後2時半
〔於 御旅所〕

御旅所祭(おたびしょさい)

午後11時頃
〔御旅所より若宮御本殿〕

還幸の儀(かんこうのぎ)

若宮様に御旅所から御本殿へお還りいただく神事で、遷幸せんこうの儀と同様、浄闇の中で執り行われ、古来より神秘とされている。
若宮様は御本殿を2日間に渡ってお留守にされないように、18日に日が変わらない内にお還りいただく事となっている。還幸の儀では道楽(還城楽げんじょうらく)が奏されるが、遷幸の儀の道楽よりテンポはやや速く軽やかなものとなる。
若宮御本殿では、お還りを待ち受けている神職によって待太鼓が打ち鳴らされ、その太鼓の音と微妙に溶け合った道楽のしらべにのって、若宮様は無事に元の御殿へとお鎮りになられる。
お鎮りになると、御本殿には瑠璃るり燈籠が灯される。神楽殿にては社伝神楽が奏せられ、華麗な祭りの幕が閉じられる。

12月18日

午後1時

奉納相撲(ほうのうずもう)

古くはおん祭当日に奉納され、御旅所祭の舞楽「抜頭ばとう」「落蹲らくそん」は相撲の勝負舞であった。 現在は御旅所祭の翌日、御旅所南側の特設土俵で、奈良県相撲連盟、奈良市体育協会、奈良市相撲協会の協力のもとに執行されている。

午後2時

後宴能(ごえんののう)

御旅所の芝舞台にて、若宮様が御本殿にお還りになった御旅所の御仮殿を背にして、現在は能二番、狂言一番が奉納される。
これはおん祭無事執行の感謝と、奉仕者の慰労を兼ねて執り行われてきたのである。